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小倉競馬場
小倉競馬場沿革
明治41(1908)年7月 東洋競馬会が現北九州市戸畑区に建設した競馬場で初開催
明治43年 東洋競馬会解散、小倉競馬倶楽部設立
大正8(1919)年 現北九州市小倉北区三萩野に移転
昭和6(1931)年7月 現北九州市小倉南区北方に移転(現在地)
昭和12年7月 日本競馬会小倉競馬場
昭和19〜21年 開催中止
昭和22年11月15日 日本競馬会主催、戦後初開催
昭和23年7月19日 日本競馬会解散。国営となる。
昭和29年9月16日 日本中央競馬会発足
風景印
小倉郵便局 昭和11.3.26〜昭和15.11.15
台紙作成者不詳
紫色通信日付印
小倉競馬大会 昭和9.5.24 小倉郵便局(場内臨時) (未収集)
(見本 岡崎競馬)
東洋競馬会主催明治41年7月の第1回競馬会の記念スタンプ
記念スタンプは逓信省、郵便局によるものではなく、作成者不明。このはがきの差出人「福山不二男」氏は、当時郵便局で
使い始められた櫛型日付印を模した自分のスタンプを作るほどの方ですから東洋競馬会のスタンプもこの方が作られたものかも
しれません。
文面 「美事なる肉筆エハガキ有難とう 返葉として去る七月当地・・?・・開催せる東洋競馬会の記念ものを送ります 左様なら」
因みに櫛型日付印は明治39(1906)年から1,2等郵便局で、明治43年から3等郵便局で使用されており、到着印に旧印を
使用している新潟、塚野山郵便局は3等郵便局だったことを示しています。
(消印 : 福岡、若松郵便局 明治41年9月6日 到着印 : 新潟、塚野山郵便局 同年9月8日)
絵はがき:戸畑港の石炭積み込み 絵はがき表面
絵はがき
戸畑競馬場
小倉競馬倶楽部が昭和6年7月、現北九州市小倉南区北方に200万円を投じて新築した競馬場の記念絵はがき
(昭和6年7月2日下関要塞司令部許可)
小倉名勝絵はがき(昭和10年5月3日下関要塞司令部許可)
消印 大阪下関間鉄道印 日付判読不能 文面から関西在住者が広島の親戚に立ち寄り、その後九州入りと推定。
絵葉書に押印されている小倉駅備え付けのスタンプ 昭和12年2月17日付
小倉競馬倶楽部作成の絵はがき(昭和10年8月21日下関要塞司令部許可)
絵はがき右端、木陰の人物、立ち小便?
この車の数、入場者の服装をみると当時競馬を楽しむ人々は富裕層であったことが推察されます。
バリア式スタート
昭和12年10月27日下関要塞司令部許可
昭和7年春季競馬会(5月19日〜29日)招待状
消印:小倉郵便局 昭和7.4.30
小倉競馬倶楽部 日本競馬会へ移行
消印:小倉郵便局 昭和12.1.21
中央競馬50周年記念切手貼付の小倉競馬場第1種定型封筒
消印 : 北九州中央郵便局 平成16..7.18