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不忍池競馬:関八州競馬会
                                             東京都上野公園

                        不忍池競馬沿革

                        明治17(1884)年11月1日   共同競馬会社が(現)新宿区大久保にあった戸山競馬場を不忍池に移転、初開催。
                        明治25年11月20日       共同競馬会社主催競馬、最終開催。
                        明治28年3月18日        馬見所など施設撤去完了。
                        明治39年5月19、20、21日  「関八州競馬会」開催。関東競馬会主導、大日本競馬会、不忍池競馬会などによる共催。
                        明治39年5月26、28、29日  「東京上野競馬会」開催。大日本競馬会主導による共催。
                           (27日の予定が雨の為順延)

                        「関八州競馬会」について明治39年5月10日発行の東京日日新聞(後の毎日新聞)に開催告知が掲載され、そしてその後の
                        同新聞では平地競走、甲冑競馬の写真とともに開催の様子を報じています。                        
                        十数年ぶりの競馬開催の絵はがきでは共同競馬会社開催時の明治天皇も来臨された当時の馬見所らしきものは見当たらず、
                        上記新聞の記事によれば 「会場は旧馬見場跡にて中央に優待席を設け其の左右に翼を張りて一二等観覧席の桟敷を設け・・・・
                        十時といふ頃には殆ど満場の人となり、・・・・(場内だけでなく)・・・広小路より池之端付近一帯賑いたり・・・」と会場はこの3日間の
                        ために用意されたこと、そのにぎわいぶりを報じています。
                        なお、この関八州競馬会では主催者による馬券発売はなかったようですが、主催者名は開催告知、記事の中に見当たりません。
                        関東競馬会、大日本競馬会、不忍池競馬会などの共同開催だったことから開催告知にも主催者名を明記できなかったのでしょう。
                        事務所の「都多屋」の本業は何だったのか、広小路のどこにあったのかも分かりません。
                        「都多屋」についてどんな情報でもご存じの方、ご教示ください。

                        [関八州競馬会、東京上野競馬会に関する参考資料]
                         道新スポーツ:馬事通信第749号(2014.5.15発行)掲載「明治39年の上野不忍池競馬」 執筆者 馬の博物館 日高嘉継氏


                                           
                                       明治39年5月10日 東京日日新聞 掲載の開催告知


                                     
                                                不忍池畔の競馬
                             後方に見える馬見席らしい建物から共同競馬会社開催時を描いたものと推測しますが、絵はがきの郵便に
                            使用することが認められたのは明治33(1900)年からなのでこの絵はがきが作成されたとき実際に競馬が
                            行われていたかどうか不明。


                                     

                                     

                                     
                              

                           
                                                                スタンドに「ライオンはみがき」の広告(拡大)
                                      
                         「ライオンはみがき」の広告から下掲の「風俗百種」の絵はがきと同じ競馬開催のものと推測。
                         消印 駒込郵便局 明治39(1906).5.26 前6−7    到着印 水戸郵便局 明治39.5.26 後1−3
                         消印によれば、東京駒込から茨城県水戸まで当日のうちに届いている。現在の速達でも難しい。到着印「26」と見えるが、「28」?。
                         もう一つ疑問。当時の郵便局は午前6時から業務を行っていたのか。なお、櫛型日付印は明治39.1.1から1、2等局で使用開始された。

                                             


                             
                                      風俗百種 競馬   東京日本橋 松聲堂 発行      スタンドに「ライオンはみがき」の広告(拡大)
                            絵はがき表面の宛名及び差出人の住所「神稲村」及び「喬木村」はいずれも長野県下伊那郡
                                    消印 局名判読不能、 日付 明治39.8.5
                                  

                  
                                                                   (左掲の絵はがきを反転)    
                             
                                     上野不忍に於ける関八州競馬会之光景  SHIBA MARUKIYA 発行
                                 上掲の「風俗百種」の絵はがきと見比べると背景の樹木の形状が同じ。写真の裏返し印刷と推測。
                           宛名住所「更級郡中津村」は現「長野市川中島町」、消印判読不能、到着印「信濃北原郵便局」は現「長野南郵便局」
                                                               到着印日付 明治40.?.8

                         競馬は絵はがきから右回り、左回り両方で行われたように見えますが、上掲の絵はがきは写真の裏返し印刷と思われます。


                               
                   絵はがきに「関八州競馬大会余興」と手書き。差出人も「Matsuura」とあり、文章はなく絵はがきの親族への送付が目的だったよう。
                                     消印 下谷郵便局 明治39.7.3    到着印 小野江郵便局 明治39.7.4


                   「関八州競馬大会余興」の上下2枚の絵はがきの消印及び到着印の日付によると郵便局間ではあるが、翌日には到着している。
                   東京から三重県、滋賀県まで、ようやく幹線鉄道網ができつつある当時を考えると翌日到着は本当かなと思ってしまいます。


                   
                                                    「ライオンはみがき」の広告(拡大)  写真の裏返し印刷
                                 (文面)  上野公園不忍池畔の競馬会・・・馬乗の女子の頭上に・・・(ホロビキ)と称し・・・
                                 消印  東京郵便局 明治40.7.28    到着印 局名判読不能 明治40.7.29
                                 差出人住所 東京日本橋      宛名住所  滋賀県犬上郡東甲良村(現 甲良町)


                   
                   関八州大競馬会場  神田区同明町 藤川絵葉書発行     スタンプ拡大、90度回転        明治38年凱旋観艦式記念特印
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                               絵はがきに押印のスタンプは「明治38年」とあります。これは関八州競馬会の明治39年開催と矛盾しています。
                               このスタンプの目的、作成者、使用期間など不明。
                               よく似た特印として「明治38年凱旋観艦式記念特印」があります。(資料提供 馬の博物館 日高嘉継氏)
                                 

                                   
                                            写真の裏返し印刷の可能性あり


                                   
                                            騎手服などの赤色は塗色したもの。


                        
                        上野不忍池畔の競馬会   未収集                        未収集


                        
                       関八州競馬会の光景(日本橋江戸屋発行) 未収集         不忍池畔に於ける関八州競馬会の光景  未収集


                   
                      関八州競馬会   未収集                  (左掲の絵はがきを反転)
                  上掲「未収集」の4枚の絵はがきのうち1枚だけ右回り、3枚は左回り。右回りの絵はがきは写真の裏返しなのか、実際に
                         右回りでも行われたのか分かりません。試に反転してみました。広告の文字が鮮明であればはっきりするのですが。



                  
                 上野不忍池畔の競馬会  未収集                       上野不忍池畔の競馬会   未収集


                  
                関八州競馬会に於ける中根氏門弟女子の乗馬隊   未収集          上野より不忍を望む  未収集


                            
                                   不忍池畔の競馬  未収集


                            
                             不忍池畔 関八州競馬会に於ける小ゑん  芸者?


                           第100回天皇賞競走記念切手発行記念 日本中央競馬会贈呈帳 : 浮世絵
                                            平成元(1989).10.29

                     
                           表紙


                          第100回天皇賞競走記念切手発行記念台紙 : 浮世絵  武蔵府中郵便局作成
                                            平成元(1989).10.29


                               
                                   表紙                           裏表紙