HOME (3) 風景印 (18) 競馬場 戦前競馬場写真集
開成山(郡山)競馬場
福島県郡山市開成山
郡山競馬場沿革
明治37(1904)年4月 福島県産馬畜産組合連合会が郡山市開成山に競馬場を設置、同月24日から初開催
昭和13(1939)年10月まで開催
昭和14年 軍馬資源保護法の公布により鍛練馬競走を実施
昭和24年9月 「郡山競馬」として郡山市営競馬昭和31年まで開催。廃止。
福島県(開成山(郡山)競馬場、会津(若松)競馬場)での地方競馬主催者(昭和23年7月新競馬法公布後)
福島県 昭和24〜26年度開催
郡山市 (昭和24.9.30指定 競馬場存在、戦災、火災) 昭和25〜31年度開催
(新競馬法公布前、昭和22,23年地方競馬法による競馬が福島競馬場で開催された。)
風景印
郡山郵便局 郡山開成山郵便局
昭和9.3.26〜昭和15.11.15 昭和9.3.26〜昭和15.11.15
郡山郵便局
昭和28.7.11〜昭和51.4.19
郡山開成山郵便局 郡山開成郵便局
昭和28.7.11〜昭和44.3.31 昭和44.4.1〜昭和51.4.19
風景印 納品書
製造納品業者 日本工材株式会社
郡山駅 スタンプ 大正11.8.31 大正14.4.3 昭和11.1.25
( 参考掲載 左と中央のスタンプは似た構図だが、別個のものと推定。 大正及び昭和は推定 )
作成者不明 大正? 昭和?11.4.28
案内状
明治42年10月17日 福島県産馬組合連合会主催開成山第11回競馬会
消印 : 郡山郵便局 明治42.10.8
到着印 : 岩代福良郵便局 明治42.10.9
昭和12年 福島県産馬畜産組合連合会主催第67回秋季開成山競馬会
消印 : 郡山郵便局 昭和12.10.25
絵はがき
地方競馬場を描いた絵はがきは1場につき数枚あればいい方で、ほとんどの競馬場については見られません。そのような中で唯一例外は
開成山競馬場です。ただ、ご覧いただければ分かるように競馬場のスタンドなど施設ではなく、桜など開成山地域一帯を観光地、住民の憩いの
場としてみた絵はがきが主であったようで、かつ同じ写真を何度も使って作成された絵はがきもあります。
開成山競馬場の設置は明治37年4月ですが、その翌年には絵はがきが作成されていたことが、実逓絵はがきの消印から分かります。
なお、日本の郵便史上での絵はがきの登場は明治33(1900)年10月逓信省令によって私製はがきの利用が認められてからです。
岩代郡山開成山公園内競馬場 虎屋書店発行 文面 近況報告、「明日は東郷大将の凱旋で桜田門に於いて生徒一同歓迎する筈です」
消印 : 郵便局名 判読不能 明治38.10.21 (年月判読不能、到着印日付から推定。収集品の実逓絵はがきの中では最古の日付)
到着印 : SEATLE WASH 1905.11.7、 OBERIN OHIO 1905.11.11
岩代郡山開成山公園内競馬場 虎屋書店製 文面 礼状のようだが判読不能。差出人はひょっとすると上掲の絵はがきと同じかもしれない。
消印 : 郵便局名および日付 判読不能
到着印 : 磐城白河郵便局 明治39.4.8
消印 : 局名 判読不能 明治39.4.21(推定) 到着印 高田郵便局 明治39.4.22
明治40年 年賀状
消印 : 局名、日付 判読不能
文面 「・・・桜花で名ある開成山、・・・今日競馬会あり当地方は三春馬として産馬の名地・・・」
消印 : 郡山郵便局 明治43.4.24 到着印 : 駒込郵便局 明治43.4.25
文面 おみやげの礼状 消印 : 郡山郵便局 明治44.4.8 到着印 : 白河郵便局 明治44.4.9
+
文面 近況報告 消印 到着印 : 判読不能 差出人 郡山 朝鮮駐留守備隊員宛
文面 広島高等師範学校合格祝い
消印 : 足利郵便局 明治44.4.12 到着印 : 広島郵便局 明治44.4.14
文面 礼状 消印 : 局名、日付年不明(使用切手から明治〜大正時代と推定)
スタンド 消印 : 郡山郵便局 昭和 3.11.21
文面 ご機嫌伺い 使用されている昭和大礼の記念切手の発行日が昭和3年11月10日であることから「昭和」
暑中見舞い 消印 : 局名 日付不明 差出人 郡山
使用されている切手「大正白紙1.5銭」発行日大正2.8.31〜昭和12.3.31の間
開成山競馬場 福島県産馬組合連合会発行
消印 郡山郵便局 明治43.7.23 到着印 局名 判読不能 明治43.7.25?
文面 農産物の価格動向など近況報告
消印 : 局名不明 年 不明.4.21消印 文面 「開盛山公園競馬見より・・ 4月21日午後」
年賀状 消印 : 局名 不明 大正5.1.1
「昭和5年」の可能性もあるが、下掲の大正4年の記念スタンプから「大正5年」と推定。
消印 : 局名 不明 日付 使用している切手から大正2(1913)〜昭和11.3.31
大正天皇大礼記念スタンプ(福島小泉郵便局 大正4.11.13)
明治44年年賀状 消印 : 福島郡山郵便局 明治44.1,1
文面 近況報告 消印 : 郡山郵便局 大正2.4.22 (「昭和2年」の可能性皆無ではありませんが「大正」と推定。)
発信者及び宛名人は「片倉製糸」の幹部だったと思われる。「七百余人打ち連れ開成山で観桜会にでかけ・・・、開成山では競馬及び自転車会・・・・」
絵はがき面のスタンプは「片倉製糸・岩代製糸所」のもの。
文面 近況報告 消印 : 局名不明 年 不明.4.28
発信者及び宛名人は上掲の絵はがきと同じ「片倉製糸」のいずれも同一人物。上掲の宛名人住所が長野県諏訪なのに対し、こちらは佐賀県鳥栖。
「開成山公園に男女千七百余人打ち連れ観桜会、終日楽しく・・・・・・・」。上掲の絵はがきと比べると観桜会参加者が七百から千七百に増え、
宛名人が長野から鳥栖へ変わっており転勤になったと思われ、2枚の絵はがきの間には数年の時の経過があったのではと推測。使用されている
切手が大正2年8月31日発行であることから少なくとも大正3年以降。
長野県及び佐賀県で受け取られた2枚の絵はがきが、処分されることなくよく保存されてきたなと感動。宛名人は絵はがき収集家だったよう。
「片倉製糸」は福島県郡山、長野県川岸村(現岡谷市)、佐賀県鳥栖にそれぞれ製糸所を持っていた。
消印 : 郡山郵便局 明治43.5.2 到着印 局名 判読不能 明治43.5.5
開成山での競馬会などの開催についての記述のある絵はがき。京城駐在の陸軍兵士宛ての軍事郵便で帰国時に持ち帰られたものと推察。
文面 男児出産祝い 消印 : 局名不明 大正2.9.13
はがきの郵便料金1銭5厘の適用期間は明治32年4月1日〜昭和12年3月31日ですから消印は「昭和」の可能性もありますが、「大正」と推定。
文面 観光旅行 消印 : 局名 日付 判読不能 (使用切手 大正2年発行)
文面 「当地の春色今や真盛り・・・」 消印 局名 判読不能 大正4.4.23(推定)
消印 郡山郵便局 大正? .10.5
上掲、明治43年5月2日付消印の絵はがきの文面から、下掲の絵はがきの自転車競走は明治43年4月に行われたと推定。
文面 送別会謝礼 消印 : 局名判読不能 明治43.12.5 到着印 仙台郵便局 明治43.12.5
差出人 宮城県亘理群荒浜村(現 亘理町)
文面 昇進祝い、二男誕生報告 消印 : 郡山郵便局 大正?4.12.12 (「昭和4年」の可能性皆無ではありませんが「大正」と推定。)
文面 郡山へ出張 消印 : 局名不明 大正?14.10.23
最後尾の自転車の位置の違い
「競走」と「競争」
10枚組 競馬4枚
東京神田 筒井盛華堂発行 暑中見舞い 局名不詳 昭和8.7.28
暑中見舞い 標語入り消印 静岡郵便局 昭和5.8.13
写真の裏返し印刷
東京神田 筒井盛華堂発行
高橋写真館発行
郡山駅スタンプ 大正?11.8.31 開成山一番池堤上の桜
3枚組 競馬1枚
郡山名所 開成山の桜 郡山名所 開成山の夜桜
郡山名所 開成山
一番池堤上の桜 開成山保勝会発行
郡山丸伊呉服店発行 6枚組 競馬1枚 郡山名所 開成山の桜 郡山駅売店発行 8枚組 競馬1枚
(スタンド 部分拡大)
消印 福島郵便局 昭和9.12.18 絵はがきには競馬場名はありませんが、消印の郵便局名及び下掲の絵はがきから「開成山競馬場」と推定
(消印の「昭和9年」は「大正9年」の可能性がありますが、「昭和」としたのは文面に「農林省」とあることから「昭和」とした。
大正14年農商務省から分離して「農林省」となった。)
同じ写真を使った豊島売店発行の絵はがき2種(上下掲示)
「馬見場」
「競馬所」
消印 局名不明 昭和6.3.27(使用切手 昭和5.11.1発行)
東京神田 筒井盛華堂発行
版元 不明 桜井書店発行
「馬券場」
「競馬場」でなく「馬見場」、「競馬所」、「馬券場」とある。そもそも「競馬場」と初めて言ったのはいつ、だれなのか。横浜の根岸競馬場が設置されたのは幕末だが初めから
「競馬場」と言ったのでしょうか。
日本中央競馬会昭和51年刊行の「競馬百科」によれば慶応2(1866)年、米英などと幕府との間で交わされた「横浜居留地設置及競馬場墓地等約書」に基づき
幕府負担で競馬場を建設したとありますので根岸競馬場は建設当初から「競馬場」だったようです。
版元 不明
東京神田 筒井盛華堂発行 東京神田 筒井盛華堂発行
「の」と「ノ」の違い
開成山大神宮の絵はがき : 郡山郵便局風景印及び郡山駅備え付けスタンプ
競馬場より開成山公園を望む 恩師への同窓会の連絡(郡山市⇒喜多方町) 消印 局名 日付 不明
競馬場スタンド(部分拡大)
上掲「競馬場より開成山公園を望む」の絵はがきと同じ写真を使用 郡山市役所発行
郡山市役所発行 消印 郡山郵便局 昭和12.5.20
岩越線(郡山〜新津)は大正3(1914)年全通、大正6年「磐越西線」と改称
消印 : 局名 不明 大正6.4.29(大正は推定)
「の」と「ノ」の違い
説明文なし
名称開成山公園から安達太良山を望む 桜花に競う 名称郡山開成山
開成山競馬場の桜花
開成山公園 開成山公園の桜花
(桜の幹の位置から競馬場とは関係ない柵の可能性あり)
拡大
日東支部修養団行事
名勝 開成山の桜 郡山市発行
郡山開成山公園 吉田初三郎画伯筆 福島県絵はがき 福島県観光協会発行
人物 西久保弘道福島県知事 拡大
(1863〜1930 明治43〜大正2 福島県知事)
開成山公園 消印 福島共進会臨時郵便局 明治41.5.18
6枚セット 売価 33銭 (競馬は1枚のみ) 部分拡大
部分拡大 郡山駅鉄道弘済会 発行 売価 20円
「開盛山競馬場」が右から表記ですが、表面のから戦前のものと推定
開盛山公園遠望 (未収集)
右側にNOUの光景があった絵はがき
消印 局名 不明 明治44.8.21 到着印 局名 不明 明治44.8.22
文面 冒頭に(2)とあり、絵はがき2枚使った後半。差出人は、文面に「・・・人はパンのみに生くるのみにあらず・・・」とあり、人生論を語り合う若者と推定。
高橋商会発行 馬繋場(推定) 文面判読不能
郡山町虎屋書店発行 消印 判読不能。 郵便料金及び使用切手から大正2年〜昭和12年の間。文面 礼状
左の絵はがきと同じ写真
軍事郵便 消印 局名不詳 明治38.6.9 到着印 福良郵便局 明治38.6.16 文面 返信
開成山の桜花
開成山公園春景 消印 郡山郵便局?明治39.5.31 到着印 牛込郵便局? 明治39.6.1
開成山公園 消印 和文印 明治38 局名判読不能 欧文印 TOKYO 1905.11.12 到着印 SEATLLE 1905.11.25?
郡山名所 開成山絵はがき 定価 10銭 高橋写真館発行 7枚セット うち5枚(掲載済み)が競馬
風景スタンプ(薄皮饅頭 柏屋本店作成)の絵はがき
競馬が廃止された後、昭和30年代前半の絵はがきと推定。馬場柵は撤去されており、正確には「競馬場跡」の絵はがき
昭和29年(午年)年賀状 消印 郡山郵便局 昭和29.1.1
昭和13年頃 帝国馬匹協会作成「全国地方競馬場写真帖」
平面図 ( 走路 1周1100m)
入場門 投票所
スタンド 走路
全景