青森競馬場 八戸競馬場 金木(芦野)競馬場
青森県東津軽郡横内村(現 青森市) 三戸郡館村(現 八戸市) 北津軽郡金木町(現 五所川原市)
青森競馬場沿革
明治39年 野辺地町大平競馬場で競馬開催、 昭和6年閉鎖
昭和7年8月8日 青森競馬倶楽部が青森市造道で初開催(3日間)、昭和7年春秋2回のみの開催で休止
昭和10年 青森県畜産組合連合会が横内村に競馬場を新設、開催
昭和14年 軍馬資源保護法公布により休止
昭和24年 青森県営競馬を昭和26年まで開催、廃止
このホームページに掲載の各競馬場の沿革につきましては、「地方競馬史」(地方競馬全国協会昭和47年8月刊行)に
よっていますが、このたび青森競馬について青森在住の方から興味深い情報をいただきました。
情報によれば競馬の開催権をめぐっては年史には記述されていない水面下での利権争いのようなものもあったようですが、
開催年、売上など数字にも年史の記述とは合わないものが見られます。
年史記述のデータについてはどこかに出典元があるはずですが、どこにあるか分らず確認のしようもありません。
下掲の青森競馬場(浜館村)の絵はがきの存在もあり、地元の情報のほうが正しいと思われますが、このホームページの
記述の変更は行わず、青森競馬にはほかに情報がありますということを紹介させていただくにとどめます。(2012.8.1)
参照 青森競馬に関する情報掲載のブログ
http://ameblo.jp/aomori-kuushuu/entry-11315098516.html
八戸競馬場沿革
明治43年6月 八戸競馬会が三戸郡鮫村大字浜通りに設置の天女ヶ窪競馬場で初開催
明治45年7月 青森県畜産組合連合会主催となる。
昭和2年 株式会社八戸競馬倶楽部が三戸郡館村根城に競馬場新設、昭和3〜13年開催
昭和3年7月1日 青森県畜産組合連合会主催初開催(2日間)
昭和14年 軍馬資源保護法公布により休止
昭和23年 青森県営競馬を昭和26年まで開催、廃止(正式廃止 昭和29年12月15日)
金木(芦野)競馬場沿革
大正元年7月8日 有力者個人2名が町有地を借り上げ開催、以後町商工会などの協賛で毎年旧暦6月1日開催
昭和2年7月17日 地方競馬規則の公布に伴い青森県畜産組合連合会が初開催(2日間)、昭和12年まで開催
昭和14年 軍馬資源保護法公布により廃止
東奥日報、平成24(2014)年9月25日付の「ふるさと今昔」のコラムに金木町芦野にあった金木競馬場が登場しました。
その記事および掲載されている写真によると金木競馬場は「芦野競馬場」と呼ばれ、競馬場の設置者は西北産馬組合で
あったようです。
昭和2年の地方競馬規則の公布に沿って、形式的に金木競馬場、青森県畜産組合連合会主催としたが、事実上の主催者は
有力者個人2名あるいは西北産馬組合だったのではと推測します。
一方、競馬場の入場門が現存しているのに、昭和13年頃帝国馬匹協会作成 「全国地方競馬場写真帖」の金木競馬場は、
なぜ平面図だけとなったのか疑問が増します。入場門の「芦野」の文字が災いしたのでしょうか。
なお、東奥日報、平成24(2014)年9月25日付の「ふるさと今昔 競馬場跡」の記事そのものについては版権の問題あり、
掲載できません。記事に興味のある方は連絡いただければお見せすることは可能です。
大平競馬場(大正元年秋季青森県競馬会) ・ 絵はがき
青森県上北郡野辺地町
明治39年、地元の資産家野村治三郎氏が設置、競馬開催、昭和6年閉鎖。
文面 暑中見舞 消印 野辺地郵便局 大正5.6.12
野辺地・青森県第5回競馬会・記念スタンプ
大正元年9月19〜21日に開催された競馬と産馬共進会の記念スタンプ。上掲の絵はがきと同じ競馬を対象としたスタンプ。
絵はがきは競馬、共進会と関係ありません。
天女ヶ窪競馬場・絵はがき
青森県三戸郡鮫村浜通り天女ヶ窪 (現 八戸市鮫町)
明治42年、馬産関係有力者であった近藤元太郎氏が所有地に自費で1周1600mの馬場を造成。
これを八戸競馬会が借り上げ、観覧席などを設け、明治43年6月初開催。明治45年7月から青森県
畜産組合連合会主催となり、昭和2年の八戸競馬場開設まで続いた。
八戸競馬場・絵はがき
青森県三戸郡館村根城 (現 八戸市根城)
天女ケ窪競馬場の絵はがき発行元は「青霞堂書店」、八戸競馬場の絵はがき発行元は「青霞堂写真館」
消印 局名判読不能 大正、昭和? 5.11.15
第一次青森県連合競馬記念・絵はがき
開催時期及び競馬場名不明 : 参考掲載
金木競馬場・絵はがき
消印 青森金木郵便局 大正5.1.1
消印 判読不能 大正7年の年賀状
版元は違うが、同じ写真を使った大正5年と7年の実逓絵はがき2枚。大正7年の年賀状として使われた
絵はがきにある「金木競馬会第1回開会当日の景」が金木競馬初開催の大正元年をさすのか不明。
五戸白山競馬場・絵はがき
青森県三戸郡五戸町白山
消印(特印) 日付判読不能 文面 近況報告
使用切手、郵便料金から大正2(1913)年〜昭和12(1937)年の間
青森競馬場(浜館村)・絵はがき
(未収集・参考掲載)
記念スタンプの年次が不鮮明ですが「昭和6年」のようです。この競馬場については、地方競馬全国協会刊「地方競馬史」に記述されていません。
昭和6年7月青森市郊外の浜館村佃(現青森市佃)に設置、8月1、2、3日初開催されたが、昭和10年には横内村(現青森市)に別に新設されることとなった短命の競馬場。
この競馬場の経緯については青森競馬に関する情報掲載のブログを参照してください。 http://ameblo.jp/aomori-kuushuu/entry-11315098516.html
消印:大阪中央局 昭和6.8.14
「青森競馬場」とあるだけで、(浜舘村)か(横内村)か不明だが、次の理由から上掲未収絵はがきと同じ(浜舘村)青森競馬場と推定。
1.絵はがきの厩舎の配置は、(横内村)の青森競馬場の下掲の平面図の厩舎の配置とは違うこと。
2.絵はがきの消印が「昭和6年」であることから、(横内村)はまだ存在していないこと。
3.上掲未収集の絵はがきの柵と作りが似ていること。
昭和13年頃 帝国馬匹協会作成 「全国地方競馬場写真帖」
青森競馬場(横内村)
平面図 ( 走路 1600m)
入場門 投票所
スタンド 走路
全景
八戸競馬場
平面図 ( 走路 1600m)
入場門 投票所
スタンド 走路
全景