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2.競馬切手よもやま話
(1)競馬法公布25周年記念切手(目打エラー)と特印
「競馬切手よもやま話」の巻頭を飾るものとしてこの切手が一番だと思います。この切手は大正12年(1923)に公布された
旧競馬法25周年及び第15回日本ダービーを記念して昭和23年(1948)6月6日に発行されましたが、すでに第15回日本
ダービーを主催した日本競馬会はGHQ(連合軍総司令部)から閉鎖機関として指定されており、1ヵ月後の7月13日には新
競馬法が公布されています。発行時にはすでに新競馬法公布も、競馬施行体制が国営競馬になることも分かっていたでしょう
から、この記念切手の発行そのものに何らかの力が働いたのではと考えるのはうがった見方でしょうか。
この競馬切手により日本をペルー(1907)、ドイツ(1936)、タンヌ トゥーバ(1936)、オーストリア(1946)につぐ5番目の
競馬切手発行国としました。切手を見ると騎手の足の姿勢が現代競馬と違うと、競馬に詳しい方はお分かりでしょう。当時の
騎乗姿勢を「天神様」に、現代の騎乗姿勢を「モンキー」にたとえています。「モンキー乗り」のはじまりは古く、明治27(1894)年
アメリカのトッド・スローン騎手が始め、日本にも明治時代にはすでに紹介されていましたが、日本に「モンキー乗り」が定着する
のは当時の中央競馬騎手保田隆芳氏が昭和33(1958)年アメリカからの帰国後のことでした。
写真は切手シートの右下の部分ですが、シートの左上隅と右下隅の2箇所に「馬」の象形文字を配しています。
また一番下の目打が銘版「印刷局製造」をはさんで2本あるエラー切手です。
記念切手の発行時に使用される通称「特印」、正式には特殊通信日付印といいますが、競馬法25周年記念切手発行時も使われました。
普通、特印の色は鳶色あるいは茶色です。ところが神戸中央郵便局ではここに紹介していますように青、赤、そして鳶色の3色があります。
当時スタンプの色についての規制がどうなっていたのか分かりませんが、特に青色はほかの郵便局のものでは見たことがありません。
誰かが神戸中央郵便局で意識して青と赤のスタンプ台を使ったものと推測いたします。
日本の郵趣の中の競馬 (12)競馬法25周年記念切手
(2)第100回天皇賞記念切手 ゼッケン番号、写真は「6」、切手は「9」 なぜ?
(写真 「シンザン」 日本中央競馬会創立30周年記念絵葉書)
平成元年(1989)10月27日発行。切手のモデルは名馬「シンザン」。左上の白黒の写真の絵葉書と右上の記念切手と
見比べてください。切手のデザインはこの写真を基にしているということは誰が見ても異論はないと思います。
しかし双方には大きな相違点があります。相違点をチエックします。
切手はカラー、写真は白黒、この写真はいろいろな出版物に使われていますが、カラーのものはありませんのでこの写真は
元々白黒フイルムで撮影されたものでしょう。(昭和40年にはすでにカラーフイルムが一般にも使われるようになっていましたが。)
そして問題はゼッケン番号が写真は「6」に対し切手は「9」であることです。
この「6」と「9」についてお話します。第100回天皇賞を記念する切手発行にあたり、モデルに5冠馬で史上最強と称されるシンザンを、
そしてシンザンのこの写真が切手のデザインとしてもよかったのでしょう。この写真を基にすることにしましたが、ところがシンザンは
天皇賞出走時のゼッケン番号は「9」でした。そこで写真の「6」を「9」に修正して切手にしました。またゼッケンの生地ですが、
切手では紫色、実際に何色の生地だったのか確認していませんが写真では少なくとも白っぽい生地です。これも天皇賞に合わせて
紫色に変えてあります。それではこの写真は何の競走での写真なのかですが、シンザンの生涯成績は19戦15勝2着4回で、
ゼッケン番号が「6」だったのは2回ありました。皐月賞と目黒記念です。結論を言いますと昭和40年(1965)11月3日東京競馬場、
目黒記念での写真です。写真を見ますとヘルメットのひさしの影が顔にはっきり写っています。良い天気だったことをうかがわせます。
目黒記念のときは快晴、皐月賞のときは小雨でした。因みにシンザンの走った天皇賞、昭和40年11月23日の東京競馬場は雨でした。
そして切手にはもうひとつ大きな修正点があります。騎手のヘルメットの色、帽色は1枠から8枠までそれぞれ決まっています。
現在は1枠から順に「白、黒、赤、青、黄、緑、橙、桃」となっています。ところが昭和40年当時の中央競馬の帽色は1枠から「白、赤、
青、緑、黄、水色、茶、黒」でした。目黒記念のときのシンザンは馬番「6」で枠番も「6」でした。従って写真がカラーであればヘルメットの
色は「水色」であったはずです。一方天皇賞のときのシンザンは馬番「9」で枠は「7」でした。7枠は現在なら「橙色」ですが当時は「茶色」
だったので記念切手も現在の競馬では見られない「茶色」にしてあります。また騎手の勝負服について白黒写真ではその配色は
分かりませんが、切手ではシンザンの馬主橋元幸吉氏の登録服色(赤、黒襷、黒袖)にしてあります。
この切手の原画作者は郵政省技芸官森田基治氏ですが、ここまで競馬について正確に対応するというのはできすぎではないでしょうか。
おそらくJRA日本中央競馬会のしかるべき人のアドバイスがあったものと推測いたします。
天皇賞競走の歴史について簡単に触れておきます。天皇賞競走は昭和12年(1937)12月3日に東京競馬場で行われた
「帝室御大賞典」を第1回とし、途中戦争で中断しましたが昭和22年(1947)から春は京都競馬場で、秋は東京競馬場で行われ
今日に至っています。
日本の郵趣の中の競馬 (15)第100回天皇賞記念切手
(3)写真の裏返し : ドガの名画切手
写真左の切手はギニア・ビソ2003.6.25発行の印象派クールぺの絵画切手で小型シートの地の部分にドガの競馬を描いた
絵画が配されています。一方右の切手はソマリア2002.6.16発行のドガの絵画切手です。この二つをご覧いただくと明らかに
同じ絵でどちらかが裏返しになっていると判断できます。どちらが正しいか。
答えはソマリアの切手が正しく、ギニア・ビソの切手は間違いです。原画はニューヨークのメトロポリタン美術館所蔵でドガの
1885年の作品です。原画はせいぜい5〜6号程度の大きさでしょうか。同美術館の821号室に展示されており、直接見る機会が
あり、同館はカメラOKなので撮影しましたが、原画はガラスで保護されているため写真には影が写っています。ソマリアの切手は
ちょっと鮮やか、ギニア・ビソの切手の方が現在の原画に近いかなと感じました。(2013.7.23)
なお、ソマリアの切手は当然競馬切手で、一方ギニア・ビソの切手は狭義、厳密に言えば競馬切手ではありませんが、私は拡大解釈
して競馬切手としています。 ドガの絵画切手
切手そのものではありませんが、写真の裏返しは下に掲載のものもどちらかが裏返しと思われます。
原画についてはマン島のに「JOHNNY JONAS」とあり、イギリスの画家の作品のようですが、原画がどこにあるのかわかりません。
ご存じの方はご教示いただければ幸いです。
英国 マーチン切手添付の絵はがき
マン島 2001.5.24 ダービー切手 パック
(4)繋駕速歩競走:斜対歩と側対歩
ニュージーランド 1970 アメリカ 1993
東ドイツ 1958 東ドイツ 1974
オーストリア 1973 フランス 1998
馬の歩法は肢の動かし方で常歩(なみあし)、速歩(はやあし)、駆歩(かけあし)の3つに分けられます。競馬では駆歩による
平地及び障害競走、速歩による騎乗速歩及び繋駕速歩競走、そして常歩でそりをひく日本北海道でしか見られないばんえい競走
があります。そのうち競馬切手の世界では平地、障害、繋駕速歩の切手があります。ここでは繋駕速歩競走の切手を見ながら
速歩にある「斜対歩」と「側対歩」の二つの走法についてお話します。
上の写真の切手をご覧ください。6枚とも繋駕速歩競走ですが、上、中段のアメリカ、ニュージーランド及び東ドイツ1958年発行の
切手の馬の走法が「側対歩」、下段のオーストリアとフランスのが「斜対歩」です。東ドイツ1974年発行の切手ははっきりせず側対歩と
断定できませんが、1958年発行の切手が側対歩であることから側対歩と推定します。「側対歩」は左前肢と左後肢、右前肢と右後肢を、
それぞれ一組として交互に動かして走ります。一方、「斜対歩」は左前肢と右後肢、右前肢と左後肢を一組としています。
「斜対歩」は馬が持って生まれた肢の動かし方で「側対歩」は人間が馬に教えたものです。
「競馬切手リスト」の繋駕競走の切手のうち、「側対歩」の切手はアメリカの1種とニュージーランドの6種及び東ドイツの2種、計9種で、
その他の国の繋駕競走の切手は全て「斜対歩」です。
上のニュージーランドの切手はカーデガンベイ号帰国記念切手で、1964年アメリカに渡り、100万ドルの賞金を稼ぎ凱旋帰国したのを
祝ったものですが、競馬の世界の「側対歩」でのアメリカとニュージーランドの交流がうかがわれます。
繋駕速歩競走は日本でも行われていましたが、中央競馬では昭和43(1968)年12月8日の中京競馬、地方競馬では昭和46年6月
20日の盛岡競馬を最後に以後行われていません。なお、騎乗速歩競走は昭和47年9月25日の益田競馬が最後です。
昭和10年6月の福島競馬小型印
戦前の競馬小型印は22競馬場で69回使われましたが、繋駕競走を描いたものはこれだけで斜対歩
社団法人福島競馬倶楽部作成絵はがき 馬の走法は斜対歩 部分拡大
昭和11年4月京都競馬開催記念小形印と絵はがき 昭和13年11月京都競馬場新築竣工記念絵はがき
馬の走法は斜対歩
戦前 新潟競馬場 絵はがき
拡大してみましたが走法は分かりません。
青森県 八戸競馬場の繋駕競走(絵はがき作成 昭和8年以前) 部分拡大
秋田県 後三年山本公園競馬場の繋駕競走(絵はがき作成 昭和8年以前) 部分拡大
昭和29年当時の中京競馬場のスタンドと繋駕競走を描いた絵はがき
先頭の馬2頭は斜対歩のようですが、後続の馬ははっきり分かりません。
(5) 氷上競馬
2005年2月、リトアニアから氷上繋駕競走100年記念の切手1種が発行されました。初めての氷上競馬の切手発行です。
(リトアニアはヨーロッパ北東部のバルト海に面した国で1990年3月1ソ連から独立。人口400万弱)
このリトアニアの氷上競馬は同国のSartai湖で行われていたようだが、リトアニアの詳しい地図がなく場所を特定できません。
切手から見る限り繋駕競走と違いはありません。右はスイスの氷上競馬の写真です。こちらは写真での推測ですが、
騎手はスキー?をはいているようで、分類するとすればそりをひく日本のばんえい競馬と一緒にするところでしょうか。
リトアニアとスイス以外の国で氷上競馬が行われているかどうかはわかりません。またこのリトアニア及びスイスの氷上競馬で
馬券が発売されているのかどうかも分かりません。ご存知の方ご教示ください。
(記念切手帳・説明文)
記念切手帳の説明によると、温暖化のせいで湖の凍結が十分でなくなったのでしょう、近年はSartai湖上での氷上競馬は行われていないようです。
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