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その他の競馬関連郵趣品
ここでは、主にほかの頁で掲載していない競馬関連の絵はがきなどを紹介します。
郊外競馬場ノ全景(富良野町)
北海道富良野市
富良野競馬の具体的な場所、経緯、存在時期については不詳ですが、次のとおりこの絵はがきなどから時期は
昭和3~10年頃と推定。
1.「富良野高等女学校」の学校名になったのは昭和7年
2.絵はがきは、表面「郵便はがき」と「が」となっていることから昭和8年以降の作成
3.押されている富良野駅の記念スタンプは上記1.2から昭和12年
4.昭和2年の「地方競馬規則」の公布に伴い、北海道各地に21の競馬場が設置されたようですが、富良野競馬場も
そのなかの1場だったのではと推定。
5.帝国馬匹協会昭和13年頃作成の「全国地方競馬場写真帖」には掲載されていないので昭和13年以前に廃止
湯の川名物ばんば競争
北海道函館市
ばんえい競馬の原点を描いたような絵はがき。時期は大正4(1915)年9月16日函館で「ばんば競争」が
行われたとの記録がみられることと観衆の服装からみて大正から昭和初期にかけてと推測。
池田馬市の盛況及競馬場
北海道池田町
池田町は大正15年町制。池田町での競馬は明治34年10月8日利別市街で初競馬、昭和5年9月開催、
戦後昭和26年8月16日清見ヶ丘公園内特設馬場でばんえい競馬を行った記録が見られるが、いずれも
未公認競馬。これらの競馬と絵はがきの競馬場との関係不詳
馬市の後方に馬場が見える。
栗山公園(栗山小学校新築落成)
北海道夕張郡栗山町(推定)
絵はがきには場所は明記されていませんが、栗山小学校、栗山公園が所在していることから推定。
栗山町で競馬が行われていたかは未確認。
釧路競馬の広告看板
北海道釧路市
釧路競馬場は、釧路畜産組合が昭和7年(1932)、釧路郡鳥取村(現釧路市駒場町)に設置、競馬開催したようです。
帝国馬匹協会昭和13年頃作成の「全国地方競馬場写真帖」には掲載されていないので昭和13年以前に廃止されたと推定。
(釧路) 弊舞橋より浦見町高丘を望む ルイフロブの街 (北海道)釧路市街
弊舞橋正面の丘にある広告看板
奥羽種馬牧場種馬 ギドラン
消印 到着印 判読不能 明治40年と推定
文面
サラブレッド種牡馬 インターグリオ 号
消印 盛岡郵便局 明治42.10.23
山形競馬倶楽部第1回開催(大正10年5月)
山形市に競馬場があったとする記録は見当たらず、山形競馬倶楽部の経緯も含めて不詳。
消印 山形郵便局 大正10.7.19
株式会社山形競馬倶楽部株券 (未収集 参考掲載)
設立 大正10年3月14日 発行年月日 大正10年4月25日
天童競馬場
山形県天童市
天童市に競馬法に則った競馬場があったとする記録はなく、経緯も含めて不詳。
天童市糠塚3丁目、糠塚喜太郎稲荷神社近辺で昭和10年頃まで開催。
(天童市在住、村岡様からの情報)
寒河江競馬大会
山形県寒河江市
寒河江市に競馬法に則った競馬場があったとする記録はなく、祭典競馬と推定。
相馬野馬追 甲冑競馬
福島県相馬市
越後伊勢平治観音競馬場
新潟県十日町市友重
十日町市に競馬法に則った競馬場があったとする記録はなく、経緯も含めて不詳。大正時代と推定。
十日町市月見ヶ原公園の周囲の道路がその形状から競馬場の走路だったのではと推測。
絵はがきの画像には競馬場と思わせるものがない。競馬場(2)とある。(1)を見てみたい。
消印 塩沢郵便局 大正4.7.30
国幣中社酒列磯前(さかつらいそさき)神社競馬祭(やんさまち)の実況
茨城県ひたちなか市磯崎町
絵はがきでは「酒列磯前神社競馬祭」とあるが、競馬は村松大神宮(那珂郡東海村村松)から酒列磯前神社まで
約9キロの海岸で行われ、出走馬は6頭と決まっており地域48村の代表であった。
「やんさまち」の起源ははっきりしないが数百年の歴史を有する祭りです。数十年おきに開催されたようだが、昭和
3、4年の開催を最後に以後行われていない。昭和27年開催を検討されたが無期延期となり、この地域海岸の開発も
あって当時の形態での再開は不可能でしょう。
酒列磯前神社および村松大神宮はいずれもホームページがあります。歴史など詳細はホームページを参照して
ください。
飯名の競馬場
現 茨城県鉾田市飯名
経緯、存在時期 不詳
宍塚競馬会
茨城県新治郡中家村宍塚(現 土浦市)
明治43年3月20,21日馬匹改良を目的とした競馬会の案内状(未収集)
摂政宮御慶事記念関東競馬大会
昭和天皇の御成婚記念として大正13年7月26,27日、水戸市外堀原練兵場で行われた競馬大会の案内状
消印 判読不能
神田村大競馬会
群馬県多野郡美九里村裏田 ( 現 藤岡市)
競馬開催時期 大正5年2月24、25日
大正4(1915)年施行の畜産組合法により競馬は畜産組合が主催するとされており、群馬県下での競馬開催案内実逓郵便物が
多くみられるが、これらの競馬は公認の地方競馬としての記録もなく、未公認競馬であった可能性が高い。
消印 郵便局名不明 大正5.2.7
宛先の「勢多郡木瀬村」は現 前橋市
渋川競馬倶楽部
群馬県北群馬郡渋川町 (現 渋川市)
競馬開催時期 大正5年4月8日
消印 郵便局名不明 大正5.3.27 競馬開催場所の八幡社 不詳
上毛畜産興業株式会社競馬部
群馬県新田郡宝泉村 ( 現 太田市藤久良町周辺 )
競馬開催時期 大正5年11月12、13日
消印 群馬大田郵便局 大正5.11.5
藤岡旧城跡大競馬会
群馬県藤岡市
競馬開催時期 大正6年2月8,9日
消印 群馬藤岡郵便局 大正6.1.24
藤岡花見大競馬会
群馬県藤岡市
競馬開催時期 大正9年4月15日
消印 群馬藤岡郵便局 大正9.4.11 マラソン競走を行うともある。
利根愛馬会(原新町競馬場)解散、財産売却、財産売却金分配
群馬県沼田市
消印 群馬沼田郵便局 昭和15.4.9 昭和15.5.11 昭和15.8.15
乙川競馬会
群馬県多野郡上野村
競馬開催時期 大正13年3月7,8日
消印 郵便局名不明、 大正13.3.3
群馬県桐生競馬会
大正8年11月23,24日
(未収集)
猿橋競馬場
山梨県北都留郡猿橋町(現大月市猿橋町)
猿橋競馬場は、発足時期は不詳だが、昭和2年8月の地方競馬規則公布に伴い山梨県下の各競馬場が整理統合され、
甲府競馬場と富士競馬場の2場となった昭和6年には消えたと推測。下掲の昭和5年の招待状は最終年のものと推定。
猿橋郵便局別納印 到着印:岩間郵便局 昭和5.4.24 猿橋郵便局別納印
北都留郡産牛馬畜産組合主催 第11回競馬大会(昭和5.4.25~3日間) 北都留郡産牛馬畜産組合主催競馬大会 開催時期不明
甲府連隊練兵場 昭和3年春季競馬会 玉幡競馬場 昭和5年11月 秋季競馬会
現 甲府市緑が丘スポーツ公園 山梨県中巨摩郡玉幡村(現甲斐市)
玉幡競馬場は甲府競馬場として昭和13年まで開催も経営不振により
山梨飛行場に買収された。戦後、昭和21年地方競馬法公布に伴い
玉幡競馬場として施行許可を受けたが開催することなく廃止。
針湖競馬場
長野県飯山市
長野県飯山市の針湖の周囲に馬場を設けて競馬を行ったと思われるが、公認の地方競馬としての
記録はなくお祭り競馬、草競馬として行われたと推測。
篠ノ井指定大競馬場
長野市篠ノ井
高ボッチ高原観光草競馬大会
長野県塩尻市
この記念絵はがき、風景印が高ボッチ高原競馬が描かれている塩尻中町郵便局のものだったらよかったのですが。作成者はその存在を知らなかったのでしょう。
馬券禁止令に対する馬券復活運動
(東京銀座上方屋製)
明治41(1908)年10月6日、政府は馬券の発売を禁止するとともに、同年11月16日我が国初の競馬
に関する法律「競馬規程」を公布したのに対し、競馬関係者は馬券の復活を希望した。
この絵はがきや有力者に送られた文書はその動きを示すものだが、その働きかけが日の目を見るのは
大正12(1923)年4月9日の競馬法公布まで待たねばならなかった。 競馬法25周年記念切手
帝国競馬協会 新築落成記念絵葉書
( 書の絵はがき4枚組。事務所の新築記念 ?)
絵はがき:明治41年10月馬券禁止に関する馬政長官あて桂太郎の書簡
帝国競馬株式会社創立事務所
東京市京橋区
会社の実態不詳
消印 櫛型日付印 東京郵便局 明治40.3.8 到着印 丸一型日付印 下野 以下不詳
櫛型日付印は明治39年1月1日から1,2等郵便局で使用開始。3等郵便局では丸一型日付印を明治42年末まで
使用、明治43年から櫛型日付印を使用開始。
日本競馬タイムス
東京市四谷区
日本競馬タイムスは根岸、中山などの競馬予想紙を発行していたらしい。読者からの投稿に対する礼状。
消印 四谷郵便局 昭和11.11.19 (部分拡大)
フアンタースチック号・目黒競馬場?
表面に鉛筆でフアンタースチック号と書いてあるだけで場所は不明。
スタンドなどから目黒競馬場でないかと推測。
陸軍士官学校 速歩競馬
東京市谷にあった陸軍士官学校で行われた速歩競馬。年代不詳。はがきの郵便料金及び使用されている切手から大正2年から
昭和12年までの間と推定。
なお、日本における騎乗速歩競走は昭和47年9月25日の益田競馬が最後で以後行われていません。
消印 東京牛込郵便局 年?.11.14 文面 礼状
陸軍士官学校 競馬
大正3年11月7日、日本、イギリスの連合軍が当時のドイツ帝国の東アジアの拠点青島を陥落のお祝い。
消印は郵便局名判読不能ですが、日付は差出日が「11月7日」とあることから、「大正3.11.8」と推定。
歩兵第五十連隊招魂祭 余興競馬会
長野県松本市
歩兵第六十一連隊軍旗祭 第五中隊 競馬 障害物飛越
若松(第65)連隊 軍旗祭 競馬
記念スタンプ(明治42.5.9) 高坂新聞堂発行 部分拡大
荒砥軍友会主催第一回日露戦病死者追弔会 競馬
記念スタンプ(明治43.3.21) 部分拡大
実施場所 不明。 絵葉書(其一)は追弔会式典の様子を描いたものです。
下川入村幼駒育成組合主催大競馬会 多度名競馬場
神奈川県愛甲郡下川入村 (現 厚木市下川入)
「多度名競馬場」は 「多度名神社」が厚木市下川入に現存することから同神社近辺にあったと思われるが、公認競馬としての
記録は見当たりません。案内状に開催年については明記されておらず、消印も切れており年号が分からないがこの「郵便はがき
楠公1銭5厘」の発行日が昭和8年2月15日、はがきの郵便料金が昭和12年4月1日に1銭5厘から2銭に改定されていることから、
昭和8年~12年の間であったことは推測できます。
麻溝村畜産組合など主催 當麻河原競馬会
神奈川県高座郡麻溝村 (現 相模原市下溝)
開催日は消印から昭和10年4月1日、場所は當麻河原とありますが、相模川の河川敷。上掲の下川入村のものと両方とも
愛馬の出走を依頼しており「小林栄太郎」氏は馬主であったよう。
消印 神奈川上溝郵便局 昭和10.3.26
秦野競馬場(仮称)
神奈川県秦野市
優勝記念
表面は「郵便はがき」とあり、日本ではあるが競馬場、時期ともに不明。
藤枝競馬場許可祝賀会記念絵葉書(袋)
明治41年4月17日、静岡県 藤枝競馬倶楽部に対して競馬場設置許可があった。その祝賀会が同月19日に
行われ、その記念に作成された絵はがきを収納するための袋。3枚組であったようだが、残念ながら絵はがきはない。
なお、藤枝競馬場は不振のため福島への移転を申請、大正6年12月27日陸軍大臣の許可があり、福島競馬倶楽部
と改称、福島競馬場への移転となった。 福島競馬場
小笠郡産牛馬組合主催春期大競馬会
静岡県小笠郡川野村丹野 (現 菊川市丹野)
案内に開催月日はあるが、開催年がない。消印も残念ながら判読不能。2月12日が土曜日である年は
大正5年、大正10年および昭和2年が該当します。郵便料金、使用されている官製はがきもいずれの年も
可能性ありで参考になりません。文面にある「公認競馬会」は藤枝競馬のことと推定。藤枝競馬場が大正
6年には福島競馬場となっていることから開催年は「大正5年」と推定しますが「大正10年」も全く否定する
ことはできません。「昭和2年」はほぼないと推定。
愛知県北設楽郡産馬畜産組合主催競馬
愛知県北設楽郡産馬畜産組合は競馬規程(明治41年公布)による競馬を大正10年春豊橋市で、翌大正11年は
一宮市で行っているが、この絵はがきの競馬がいずれであるのかは不明。
同組合主催の競馬は2年間で終わり、翌大正12年は愛知県畜産組合連合会主催で岡崎市で開催され、後の岡崎
競馬場へとつながることとなる。 岡崎競馬場
西尾蚕糸学校創立10周年記念自転車大会及び競馬大会
(大正8年創立 現愛知県立鶴城丘高校 愛知県西尾市亀沢町)
(未収集)
海津競馬倶楽部 高須競馬場
岐阜県海津郡高須町大字萱野 (現 海津市)
高須競馬場は地域を流れる大江川の河川敷に設置され、 昭和2~5年開催。昭和6年買収され各務原競馬となった。
各務原競馬
消印 岐阜高須郵便局 大正15.3.21
余興競馬会
岐阜県揖斐郡
京都競馬会主催 二府四県連合大競馬会記念スタンプ押印 絵はがき
2府4県連合大競馬会記念 スタンプ (拡大)
武徳殿(京都)桜馬場 大競馬会 絵はがき
(未収集)
京阪電車パンフレット掲載の広告(昭和10年京都秋季競馬(昭和10年12月14日~25日)を切り抜き作成した絵はがき
(参考 未収集)京阪電車のパンフレット
これらの絵はがき4枚は、同じ京阪電車のパンフレットの裏表紙広告を切り貼りして作成したもの。
京都競馬の絵はがき(左)は実逓で作成者は京都在住の方です。(中)は「京都 のむらや」とあり、
(右)横浜競馬及び下段の絵はがきについてはわかりませんが、いずれも京阪電車のパンフレットから
関西在住の方ではないかと推測。
同じ広告を使っての絵はがき4枚ですが、いずれもうまく利用しているなと感心。
京都競馬 横浜競馬
京都春季競馬会記念・小型印
私製絵葉書 記念印 昭和11.4.25
京都 ・ 上賀茂神社 競馬会神事
上賀茂神社 競馬会神事
奈良・春日大社競べ馬びょうぶ絵
競べ馬発祥の図 正倉院御物
桜井郵趣会
和歌山県田辺市・闘鶏神社 藤巌公入国300年記念祭 競馬
「藤巌公」は徳川家康家臣安藤直次(1554~1635)のこと。徳川頼宣付き家老として1619年和歌山入り、田辺に
領地を与えられた。法名の「藤巌院殿崇賢居士」から「藤巌公」と呼ばれた。絵はがきの鳥居は田辺市内にある闘鶏神社
のものと推測。境内に摂末社として「藤巌神社」がある。記念祭の絵はがきは大正8~10年頃作成されたと推測します。
闘鶏神社写真 (岡本幸子様提供)
部分拡大
岡山・楢崎新田大競馬会
明治34年に開催された草競馬大会の案内状。開催日は旧暦12月1日とあるが、新暦では明治34年1月20日頃。
はがきの宛先「上道郡高島村大字中井」は現岡山市。開催地及び差出人の住所「楢崎新田」については同じ高島村
ではないかと推測しますが場所を特定できませんでした。
「楢崎」の「楢」は文面にある文字と違いますが表示できないのであて字を使用しました。
消印の明治34年1月15日は私の競馬関係収集品の中では最古の実逓。
消印 : 丸一型日付印 岡山郵便局 明治34.1.15
岡山県・茅部野競馬場
岡山県真庭市蒜山
茅部野競馬場については「地方競馬史」(地方競馬全国協会刊)にも記載がなく、スタンドなどの建物も
見当たらず、草競馬の状況を絵はがきにしたものと思われます。
地図上では「東茅部(ひがしかやべ)」、「西茅部」という地名は存在するが「茅部野」という地名は見当たらない。
絵はがきの作成時期は、表面の「郵便はがき」が「が」と濁点になっていることから昭和8年以降と推定。
島根県・津和野神社300年大祭余興競馬
島根県鹿足郡津和野町 明治40年4月26~30日
下関・桜山招魂社競馬会
桜山招魂社(桜山神社)は慶応元(1865)年、高杉晋作の発案で建立。吉田松陰、高杉晋作、山形有朋など倒幕、
明治維新にかかわった防長二州出身391名が合祀されている。
競馬は境内に設けられた競馬場で毎年春の例大祭に行われた。その起源、いつまで行われたかいずれも不明ですが、
境内に「競馬場改築寄付芳名記念碑 大正11年11月」の石碑が現存することから昭和初期頃までは行われていたのでは
と推測します。
絵はがき(其ニ)、(其三)、(其四)。 このほかに(其一)が存在するはず。
雲仙・空池原競馬 池ノ原競馬場
長崎県雲仙
「空池原」の地名は地図上で見られない。「空池」、「池の原」はあるが競馬場のあった場所の特定は地図のうえだけでは難しい。
名称は違うが同じ競馬場と、登山記念スタンプは大正13年と推定。
雲仙で競馬を開催したとする記録は見当たらない。建造物はなく、走路、馬場柵もはっきりせず、お祭り競馬だったと推定。
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諏訪の池競馬場
長崎県雲仙
「競馬場の景」とあるが、競馬場らしきものは見当たらない。
長崎競馬会・開催案内状
長崎競馬会が昭和8年11月23日、當町競馬場で競馬を開催するとの案内状ですが、次のような疑問点があることから
長崎競馬会は公認地方競馬ではなく、お祭り競馬だったと推測します。
1.「長崎競馬会」について
昭和8年当時の地方競馬主催者であれば「畜産組合」あるいは「県畜産組合連合会」であるはずだし、
「地方競馬史」(地方競馬全国協会刊)にも「長崎競馬会」の記述はない。
2.「長崎競馬会」の所在地
具体的な住所の記載はなく、「事務所、長崎駅前、岡本屋旅館」とあることから、長崎県長崎市と推測しますが、
「長崎駅」が現在の長崎市所在のJR長崎駅をさすのか未確認。
いずれにせよ公認地方競馬の主催者の事務所が「旅館」ということはありえないと思います。
3.「當町競馬場」
「當町競馬場」についても「地方競馬史」(地方競馬全国協会刊)にその記述はない。
また「當町」が競馬場の固有名詞なのか「わが町」という意味なのかはっきりしない。
4.1日だけの開催
公認地方競馬であるならば1日だけの開催というのは考えられない。
琉球の競馬
(未収集)
場所不明の絵はがき
場所不明。手がかりは表面に発行者としての「SHOWASHASHIN」だけ。これで日本のもので
昭和初期のものと推測。
場所不明の絵はがき
場所不明の絵はがき2枚。表面のデザインが同じであること、馬場柵の形態が同じであることから
同じ競馬場と推定。「郵便はかき」と「か」に濁点がないので、この絵はがきは昭和8年以前のもの。
愛馬の日 絵はがき
日本競馬会・帝国馬匹協会・日本乗馬協会 作成
日本競馬会は昭和11年12月設立なので昭和12年以降の作成と推定。
封筒 絵はがき 表面
馬事公苑 絵はがき
日本競馬会
鍛錬馬競走
軍用保護馬鍛錬中央会発行
昭和14年4月7日軍馬資源保護法が公布され、北海道3か所、その他の府県では各1か所で鍛錬馬競走が
行われた。
競馬に対する風刺
東京えはがきパック鳥井 発行
消印 大阪郵便局 明治42.3.6 到着印 京都郵便局 明治42.3.6
競馬イラスト・年賀状
東京 神田 千鳥印発行
松本書籍商組合発行 消印 郵便局名 判読不能 明治40.1.5
鈴木洋酒店発行 年賀状 消印 郵便局名 判読不能 明治41.1.1
大正7(1918)年(午年)の年賀状 消印 浜松郵便局 大正7.1.1 宛先 浜名郡豊西村(現浜松市)
大正7(1918)年(午年)の年賀状 消印 郵便局 判読不能 大正6.12.? 宛先 茨城県鹿島郡沼前村(現茨城町)
昭和5(1930)年(午年)の年賀状 消印 郵便局 判読不能 昭和5.1.1
「浪花競馬倶楽部」の存在、確認できません。馬券を昭和5年の年賀状に、昭和5年開催の入場券を添付することは不可能です。後付けは別として。
入場券の裏面に「大正14年の馬券復活、年号を新たにしたもの」とあります。午年の年賀状のために作成したもののようで、びっくりです。
松屋の五月人形 「競馬」 消印 渋谷郵便局 昭和6.4.24
スカシ絵付き絵はがき
スカシ絵 落馬
スカシ絵 人馬の骸骨
(版元、作成時期不明ですが から 日本、戦前のものと推定)
競馬歯ブラシ・細川音商会
東京徳永ブラシ店 ケーバ印靴クリーム
消印 東京中野郵便局? 昭和?5.3.21
(郵便料金第2種はがき 1銭5厘 明治32.4.1~昭和12.3.31)
西山商店発行
部分拡大 消印 郵便局 判読不能 大正? 8.12.11 文面 酒一升注文
越後屋商店 競馬ポートワイン
消印 大阪川口郵便局 大正? 5.2.2
競 馬
御大典記念全国馬匹博覧会
上記博覧会は昭和3年10月、東京で、昭和8年10月には大阪で開催されている。
昭和8年は、旧競馬法施行10周年記念として開催されている。上掲絵はがきの作成時期不詳。
エサガシ
馬に何かが隠されているようですが、分かりません。
昭和5年 午年 年賀状
消印 局名 判読不能 昭和5.1.2付 宛先住所がないことから実逓ではないと推定。
蒙古風俗 競馬のスタート
蒙古の競馬
樺太 豊原競馬場全景と優勝馬
第1回豊原競馬会(明治44(1911).8.23.24 開催) 優勝馬水天号 消印 郵便局名判読不能 大正7?.9.1
障害競馬
印刷 ドイツ 消印 郵便局名判読不能 明治41.8.19 到着印 芝郵便局 明治41.8.21
印刷 イギリス 消印 郵便局名判読不能 明治41.8.20 到着印 芝郵便局 明治41.8.21
印刷 イギリス 消印 牛込郵便局 大正?、昭和? 4.3.4
競 馬
印刷 イタリア ミラノ 消印(丸一型日付印)武蔵巣鴨郵便局 明治38(1905).?.?
宛名の石津利作、石津寛一は大阪の石津製薬会社創業者の一族
NECK TO NECK
消印 神田郵便局 明治43.8.8 到着印 判読不能
チリ・バルパライソ競馬場
探検家 菅野力夫(1887~1963)の絵はがき(チリ訪問 大正12(1923)年)
戦前 日本製 戦前 日本製
(未収集)
サイゴン競馬場 ?
切手 消印 INDO-CHINA(現ベトナムあたり?) 到着印 タイ バンコック 日付 判読不能
貼付された切手は1904~6年 発行
* 「サイゴン競馬場」としましたが、「競馬場」ではないかもしれません *
くらべ馬
帝国美術院第13回美術展覧会(1932)出品 「くらべ馬」 西山翆嶂(1879~1958) 画
高橋周桑(1900~1964)
1982 中央競馬写真展
昭和58(1983)年 年賀状 福永 洋一 中央競馬騎手一家 から 作家 虫明 亜呂無 氏 あて
消印 栗東郵便局 昭和57.12.31
虫明 亜呂無(1923~1991) 福永 洋一(1948生、初騎乗1968、1981騎手引退)
競馬関係著書 サラブレッド(1976) 祐一(1976生、初騎乗1996、2023騎手引退) 昭和58年当時 小学生
ジャガールの馬(1978) など
日本中央競馬会栗東トレーニングセンター
この絵はがきの郵便番号は5桁。郵便番号が7桁になったのは1998(平成10)年2月であることからそれ以前の絵はがき
イギリスダービー・ギャラリー展 JRA競馬博物館
1998.4.8 ~ 6.21
表紙 裏表紙
ダイオメド 第1回イギリスダービ優勝馬(1780) ダービーの日
ダービー:エプソムの検量室 騎手F・アーチャーとダービー馬ベンドア ウエストオーストラリアン 第74回イギリスダービー優勝馬(1853)
JRA60周年記念特別展示「英国ジョッキークラブ秘蔵 競馬絵画展」
2014.10.1~11.3 東京競馬場
ECLIPSE MINORU
パナマ 1968 リベリア 2014
パナマ発行の切手は絵はがきと同じだが、リベリア発行の切手は背景、人物の脚部が違う。
リベリアの切手の原画が存在するのかわかりません。
タイキシャトル ・ ナリタブライアン
タイキシャトル
ナリタブライアン
プラザエクウスは1992年東京渋谷、大阪梅田に開設されたが、梅田2002年、渋谷2008年閉館、それぞれ Gate
J.として移転
ナリタブライアン
1991~1998
皐月賞 ダービー
菊花賞 有馬記念
日本中央競馬会 Gate J. 東京
「Gate J. 新橋」を「Gate J. 東京」としてJRA新本部ビル内へ移転、2021.11.24 オープン
消印 日本橋郵便局 令和3.11.30
第70回さっぽろ雪まつり 2019.1.31~2.11
北海道を駆ける!サラブレッド
第31回日本ダービー(1964.5.31) ・ パンフレット
優勝馬 シンザン
表紙 裏表紙